「民衆の側で戦う」姿勢つらぬく 無料葬儀NPO立ち上げた俳優のチョートゥーさん

慈善活動が盛んなミャンマーで、とりわけ有名な非営利組織(NPO)がある。有名俳優のチョートゥーさんが立ち上げた「フリー・フューネラルサービス・ソサエティ」(FFSS)だ。活動を通じて、「縁起が悪い」と蔑まれて俳優としての立場を危うくしたほか、軍事政権からも目をつけられていた。その中でも不屈の闘志で活動をつづけたチョートゥーさんの活動は市民の支持を受け、今では学校や病院運営にまで手を広げている。どうして活動が必要になったのかを聞いた。

 

――俳優でありながら、無料の葬儀を行うというユニークな活動で有名ですね。この活動でマグサイサイ賞も受けています。どうしてミャンマーには、こうした活動が求められていたのですか。

もともと、私の先生だった映画監督のトゥカさんの経験が大きいのです。彼が病気で入院していたとき、同じ病院に入院していたおばあさんがいて、家族が看病していました。しかし、医師がおばあさんの余命が幾ばくも無いと宣告したとたん、家族は姿を見せなくなったそうです。それは、死亡したのちに葬儀を出す費用がないからなのです。このほか、お金がないために、死体が畑などに捨てられてしまう例もありました。

 

ヤンゴン市役所などが火葬を手がけているのですが、費用が高かったのです。そこで、無料で葬儀ができるサービスをしたところ大変喜ばれ、これまで約17万人の亡骸を扱いました。軍事政府は我々の活動を快く思わず、様々な妨害を受けました。また「縁起が悪い」と言って一緒に仕事をしてくれなくなった俳優仲間もいました。それでも支援してくれる人も多く、活動費はすべて寄付で賄っています。日本の中古車などはとても役に立つので、寄付をしてくれる人がいれば大変助かります。

 

――現在は葬儀のほかにも活動の幅を広げていますね。


チョートゥーさん俳優、慈善活動家。1959年ヤンゴン生まれ、1983年から俳優として活躍、1988年の民主化運動にも身を投じる。2001年に無料で葬儀を執り行うNPO「フリー・フューネラルサービス・ソサエティ」を創設する。映画監督のほか、俳優としてテレビや映画で活躍する
人の死と向き合っていると、健康が重要だと思うようになり、クリニックを設立しました。また、健康に関する知識を得るためには、教育も必要だということで、専門学校も設立して英語や日本語、コンピューターなどを教えています。

 

マンダレー地方にササヨ村という、ミャンマーの伝統的ヘアスタイルを貫いている村がありまして、2年前に初めて訪れた時、とても懐かしい思いがしました。その村には井戸がなく、水を汲みに毎日4マイルも離れた場所まで行く必要ありました。徒歩や牛車で水を運ぶのでとても大変です。そこで、井戸掘りの活動を行ったのですが、1回目は詐欺的な業者に引っ掛かり、成功しませんでした。2回目でやっと水が出て、生活が大変便利になりました。この村をテーマにしたテレビドラマも作っています。

 

実はこの村は第二次世界大戦中、日本軍が英国軍と戦った場所で、たくさんの遺留物があります。村の学校では、鐘を鳴らす代わりに、爆弾の外殻の金属を打ち鳴らします。銃剣も残っています。また、村の僧侶が病気になった日本兵を看病したという話も聞いています。こうした歴史の証拠品はそのうちなくなってしまうので、寺に博物館のような展示スペースを作ってはどうかと提案しています。ササヨ村は観光地のバガンにも近いため、欧米人が訪れることもあるのですが、日本人はあまり見ないですね。戦争中は村人が日本兵を助けた経緯もあるわけで、日本の人も村を訪れ、何らかの支援をしていただけるといいなと思います。

 

――芸能活動できない時期もあったと聞いていますが、今は俳優や映画監督としても積極的に活動しています。今後の目標を教えてください。

 

2007年にジャーナリストの長井健司さんが犠牲になった僧侶のデモがありました。その際、私は僧侶を支援するため、シュエダゴンパゴダの東門で食べ物を提供しました。このことで私と妻は逮捕され、1週間拘留されたのです。そのことがきっかけで、私はマスコミに出ることができなくなりました。ある時、与党の連邦団結発展党(USDP)の幹部が私に言いました。「政府も素晴らしい活動をしているいのに、民衆は有名人のお前の活動ばかり支持している。どうだ、政府のインフラ建設などを取り上げるドキュメンタリーを撮ってみないか。そうすれば、再び活動できるようにしてやる」と。もちろん断りましたけれども。転機が訪れたのは、テインセイン政権末期です。ネピドーで開かれたパーティでテインセイン大統領に会いました。彼は「私はあなたの大ファンなんだ。いつの間にかひげが伸びているな。どうして最近は映画に出ていないんだ」というのです。これ以降、私は再び芸能活動ができるようになりました。活動を禁止されるときも、再開できるようになる時も、命令書の一枚もないのです。政府の人間が裏でやるだけでした。

 

今のミャンマー映画は、ビジネスになるコメディ映画ばかりになってしまいました。しかし、私は「民衆の側に立って戦う」物語を撮っていきたいと思います。11月からは、バガン王朝時代の生まれ変わりが活躍するテレビドラマに挑戦します。私は様々な活動を行ってきましたが、本当に目指したいのはそういったボランティア活動が必要なくなるくらいに、平和な世の中を作ることです。そのために頑張りたいと思っています。

 

【インタビューを終えて】

 チョートゥーさんは、自分の名声が毒にも薬にもなるということを自覚していると話す。そのため、様々な困難があったとしても、自分が正しいと思う選択をしようと務めているという。妨害があっても、必要だと思うことを貫いた姿が市民に支持されているのだろう。こうした人物がミャンマーを支えてきたのだと、とても大きな存在感を感じた取材だった。(掲載日2017年10月13日)