母国の人材が活躍できる世の中に 日本から戻り起業したダゴングローリー社長のミョーミンチョーさん

 

日本で留学や実務経験を積んだのちに母国で成功しているミャンマー人もいる。そのひとりが、人材紹介会社「ダゴングローリー」社長のミョーミンチョーさんだ。ミャンマーでは若い人材が多いにもかかわらず、社会経験が乏しいなどの理由で十分に活躍できていないケースも目立つ。ミャンマーと日本の両方の立場を理解したミョーミンチョーさんに、ミャンマーでの人材活用のポイントを聞いた。

 

――ミョーミンチョーさんは、まだ日本へ留学するミャンマー人が珍しいころに日本の大学に留学した経験がありますね。

 

はい。私が高校を卒業した2001年ころは、日本語を勉強する人はほとんどおらず、英語を勉強してイギリスやシンガポールに留学するのがあこがれとなっていました。私も英語を勉強して留学を目指していたのです。しかしある時、日本の立命館アジア太平洋大学(APU)のニュース記事が目に入ったのです。英語で勉強し、日本語も学べるということで、私が求めていた環境だと思いました。そこで申請したところ合格して、奨学金ももらえることになったのです。こうした機会をえたことで勉強ができ、日本の国にはとても感謝しています。

 

 

ミョーミンチョーさん

 

ヤンゴン出身。2006年に日本の立命館アジア太平洋大学に留学したのち、日本の物流会社に就職。その後ミャンマーに戻り人材紹介会社ダゴングローリーを2013年に設立、社長を務める。

APUを卒業したのちに、日本で就職活動をして大手物流会社に就職しました。その頃は、ミャンマーに帰っても仕事がないので、長く日本にいるつもりだったのです。そこで営業企画の仕事をしながらビジネスの経験を積んだのですが、2011年にテインセイン政権が誕生して、国が変わるかもしれないという気配を感じました。まだ、みんな「注意しながら関心を持っている」という段階でしたね。テインセイン政権になってすぐに、自動車の輸入の自由化が行われまして、そこでミャンマー人の仲間と自動車のミャンマーへの輸出のサイドビジネスをすることにしたのです。1年で30台ほど送ったのですが、1台の利幅が大きいので儲かりました。2013年に物流会社を3年弱で退社し、ミャンマーでビジネスをすることにしました。その頃は、「ミャンマーは元には戻らない」という確信があったのです。

 

――そして母国で人材ビジネスを始めたのですね。

 

そうですね。国が変われば、新しい人材が必要になりますから将来性があると考えました。初めは3人から事業を開始して、ミャンマー企業への紹介を中心に事業を拡大しました。今では日本企業向けに、一次面接を行ってレポートを添えて紹介するなどの特別なサービスも提供しています。今ではインターネット経由の求職者がほとんどですね。求人情報をネットに載せる広告モデルと、人材の紹介のビジネスが半々くらいでしょうか。現在日本語学校の立ち上げを準備していまして、日本に人材を送る事業も始めるつもりです。

 

――外資系企業にはミャンマー人はすぐに辞めてしまうなどの声があります。どうすれば従業員が満足して働く環境を作ることができるのでしょうか。

 

まず、ミャンマーではこれまで会社がほとんどありませんでしたから、両親が会社勤めの経験がなく、社会人としての心構えやマナーを知る機会が少ないのですね。日本ですと、セクスィー部長で有名なサラリーマンNEOなどの会社をテーマにしたテレビ番組や漫画がよくありますよね。ミャンマーではほとんどありませんので、職場について知る機会がありません。ミャンマーの教育省や教育関係者には、大学でキャリア教育を行うことや、就職課を作ることを提言しています。

 

企業側にできることとしては、従業員をフェアに扱うことと思います。例えば、誕生会を行う企業がありますが、誰の時はやって誰の時はないということがあると不公平感につながります。毎年いつ昇給の機会があるなどということを周知して、フェアに扱われているという実感を持ってもらうことが大切です。また、ミャンマーにはたくさんの民族がいることでもわかる通り、人それぞれですのでもちろんそれぞれの要望に完全に応えることはできないのですが、しっかり従業員のことをみていることが必要だと思いますね。

 

【インタビューを終えて】

日本人とミャンマー人では働き方への考え方が大きく違う。その両方の考え方を理解しているミョーミンチョーさんは「ミャンマー人はもっとプロフェッショナルになるべきだ」と話す。やはりそうした言葉がミャンマー人の口から発信されることの意味は大きいと考える。今後も、考え方の違い乗り越える橋渡しするような活躍を期待したい。(掲載日2019年4月26日)