3,000チャットのロンジーに懸ける夢 ミャンマー出身のファッションデザイナー、渋谷ザニーさん

 

 

 

ミャンマー生まれのファッションデザイナー、渋谷ザニーさんが母国ミャンマーで本格的な活動を始めようとしている。渋谷さんは8歳のころにミャンマーから難民として日本に移住し、その後日本でモデルやデザイナーとして成功した経緯がある。どうして今ミャンマーで新しい活動を始めるのか、ヤンゴンでその思いを聞いた。

 

――渋谷さんは子どものころに日本に移住して、デザイナーとして成功したという経歴ですね。その経緯について教えてください。

 

1993年の8歳、小学校3年のころに日本に来ました。両親がミャンマーで民主活動をして難民として日本に逃れるということなのですが、当時子どもだった僕はそんなことは知らされずに、桜を見に行く旅行で、すぐ帰ってくると聞いていたのです。

 

到着すると6月で桜はもう散っていたのですけれども。学校に入る段になって「ああ、もうミャンマーに戻ることはないんだな」とわかったのです。今でも、ミャンマーを出国する時にヤンゴン空港へ行くと、その時の感情がよみがえって恐怖を感じるのですね。

 

渋谷ザニー(しぶや・ざにー)さん

 

ファッションデザイナー。1985年ヤンゴン生まれ。民主活動家だった両親とともに1993年に難民として日本に移住。モデルとして活動したのちにデザイナーに転身、2011年にブランド「ZARNY(ザニー)」を立ち上げた。

キャリアとしてはまずモデルの仕事をする機会をいただいて、その後デザインについてアドバイスをするようになり、それが数字に表れてきてこの道に進みました。大学では国際関係を学んでいて専門的にデザインを勉強したわけではありません。デザイナーになりたかったのは事実で努力もしましたけれども、時代がそうさせてくれたと言いますか、必要とされてきたということと思います。自分の行為が間違っていなければ、求められてくるものだと思います。

 

難民という肩書は別に欲しくなかったのですね。自分の作品を先入観なく認めてほしいという思いもありました。しかしデザイナーの仕事が認められてきて、渋谷の街にちなんだ「渋谷ザニー」という名前で活動して軌道に乗り始めた2007年ころ、ミャンマーで僧侶たちによる民主化デモ、いわゆるサフラン革命がありました。その映像をインターネットで見ていて、自分と同じくらいの20代の若者が僧侶としてデモに参加して、それを鎮圧する20代の警官もいることを知り、こうしたことを遠い世界のものではなく知ってもらうきっかけになるのならと思い、難民であることを公表したのです。

 

――デザインをするうえで、ミャンマーと日本と両方の経験があることはどう影響していますか。

 

例えば、ミャンマーでは花は香るもの、上から降ってくるもの、という意識があります。日本では桜のわずかな季節しか降ってきませんが、ミャンマーではどの季節も花が降ってきますね。オートクチュール展などで会場の床に花びらをちりばめる演出をすることがありますが、それは降ってくる花のインスピレーションなのです。上座部仏教を中心としたミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスの共通した文化は自分も大切にしています。

 

――今回のヤンゴン訪問では、ミャンマー人の作家による日本をテーマにした絵画の展示会を企画するなど精力的に活動していますね。今後のミャンマーでの活動について聞かせてください。

 

いま、ミャンマーでロンジーのビジネスを立ち上げる準備をしています。それも、2~3ドル程度、つまり3,000チャットから5,000チャットくらいで買えるロンジーを作りたいと思います。女性用のほうが値が張るので、まずは男性用から始めるつもりです。ミャンマーの少しでも多くの人に使ってほしいという思いからです。出来るものなら1ドルで売りたいくらいです。自分がこのミャンマーで何を求めらえているのかと考えれば、この3,000チャットの夢に懸けたいと思うのです。

 

僕は悔しい、さみしいという経験も乗り越えてきています。今となっては、ミャンマー人の資産家が見ても、「ザニーって安物でしょ」って言わせないものを作る自信があります。デザインはこれからですが、アイヌや琉球(沖縄)などのデザインを取り入れるアイデアがあります。みんなが憧れるような3,000チャットの「ザニー」のロンジーを作りたいですね。

 

 

【インタビューを終えて】

渋谷さんは「人に求められるように頑張るのが資本主義」と語った。その一方で、皇室とも取引するようなブランドを育て、世の中に求められるようになるまでの苦労は表には出そうとしない。おそらくそうしたものは、自分のデザインするファッションのクオリティで表現すればいいと思っているのだろう。彼の次の夢は、3,000チャットのロンジーでミャンマー人のすべてに必要とされる存在になること。その壮大すぎる夢の行く末に注目したい。(掲載日2019年6月21日)