【ミャンマービジネスの開拓者たち】 「ミャンマーの障がい者にチャンスを」 障がい者向け職業訓練校運営するAARの中川善雄さん

 

ミャンマーでは政府が福祉に対して消極的だったため、十分なケアを受けられていないと言われるミャンマーの身体障がい者。ミャンマーの社会の注目度がそれほど高くなく、その実態はあまり知られていない。こうした身体障がい者に対して、職業訓練を提供しているのが「難民を助ける会(AARジャパン)」の中川善雄さんだ。ミャンマーの障がい者の実態について聞いた。

 

――AARは身体障がい者向けの職業訓練校を運営しています。ミャンマーでは珍しいと聞いています。どんな教育機関なのでしょうか。

 

はい、3か月半の期間の3つのコースを設置しています。美容師らを養成する理容・美容コースは、シャンプーやカットに加え、開業したときの帳簿のつけ方なども習います。また、ミシンの使い方を習う縫製コースは、型紙から服をデザインするところまでやります。コンピューターコースは、タイピングからはじめ、ワードやエクセルなどの使い方を学習します。就職しても大丈夫なように、報告連絡相談のようなビジネスマナーも教えます。いずれも12人から15人のクラスで、年間合計で130人ほどが卒業します。2000年の開校からいままでに、1,700人が卒業しています。

職業訓練校なので、18歳から40歳までが対象です。様々な障がいを負った生徒がいます。障がいとしては、手足が不自由だったり、欠損していたりする生徒のほか、聴覚障がい者もいます。ポリオで足が麻痺している生徒もいます。聴覚障がい者にたいしては、手話やビデオ、身振り手振りで教えます。

 

学校は全寮制です。生徒の中には、これまで家にいる時間が長くて集団生活をしたことがなく、社会性に乏しい人もいます。ある手が不自由な女子生徒は、いままでベッドメイキングをしたことがなかったのですが、自分よりも重い障がいがあるクラスメートがきちんとベッドメイキングをするのを見て、驚いたそうです。寮生はグループ分けして、掃除係、買い出し係、料理係などと担当の仕事があります。そうした経験を重ねて、自立に必要な社会性を身に着けてもらうことができます。

 

――ミャンマーの身体障がい者は実際にはどのような問題を抱えているのですか。


中川善雄(なかがわ・よしお)さん 1983年生まれ。大学で宇宙物理学を学んだあと、日本赤十字社に就職。2011年にAARに転職しタジキスタンで障がい者支援に携わる。現在はヤンゴン事務所駐在代表として障がい者向け職業訓練学校の事実上の校長を務める。
課題は多いですね。たとえば、われわれのようなフルタイムの障がい者向け職業訓練校は全国に数えるほどしかなく、全国に231万人いるという身体障害者のニーズからすると、ほんの一部しかカバーしていません。身体障害者に対する手当など、セーフティーネットもほとんどありません。障がい児の3人に2人は学校に通っていません。中学に上がるときなど、学校が遠くなることがきっかけで通えなくなる子どももいます。また、障がい者の85%は失業しているという調査もあります。

 

仏教的な考え方から「障がいを持って生まれたのは前世の行いが悪かったため」という考え方があり、偏見につながっています。しかしその一方で、「障がい者を助けることは功徳を積むことになる」という考え方もあるので、家族や周囲が手厚くケアしているケースも多いですね。これは、個人や地域の差が大きいようです。

 

大きな問題としては、障がいがある生徒自体も、こうした社会状況から自己肯定感が低く、自信が持てないことが多いことが挙げられます。特に女子生徒で多いような気がします。障がいがあることが恥ずかしいので人前に出ないようにしていたという人もいます。

 

私たちの学校では、10人いる教師のうちの9人は卒業生で、何らかの障がいがある人です。教師は技術を教えるのみならず、授業の合間などにチャレンジすることに意義や、学べばできるようになるということを繰り返し教えています。また、学生寮には監督役のスタッフがおり、一緒に寝泊まりしながら生活の指導もしています。こうしたことを通じて、自信をもって前向きなり、生徒の人生が変わるきっかけになればと思っています。障がい者だけの学校については賛否がありますが、少なくともミャンマーにおいては、障がい者が同士がこうして学ぶ場が少ないので、この学校の意義は大きいと思っています。

 

――現在、力を入れていることは何でしょうか。

 

卒業生の就職先に開拓を進めています。まず、JICA(国際協力機構)の事業の一環で、100社の企業を訪問して就職先を探す取り組みを始めました。私だけが号令をかけているのではなく、正式にドナーとの約束であるという形にして、スタッフのやる気を引き出す狙いです。

 

昨年以降の取り組みで、20社弱の企業が、卒業生を受け入れてくれることになりました。コンピューターコースの生徒が金融機関のコールセンターに努めたり、日系の高級ヘアサロン「シュンジ・マツオ・ヘア・スタジオ」では、卒業生を採用してもらうほかにも、理容・美容コースの授業で教えていたいています。自営ではなく、大手の縫製工場に就職する縫製コースの生徒も出てきていますね。

 

この学校は、ミャンマー側が独自に運営することが可能になれば、ミャンマー政府に移管することになっています。しかし、政府の予算の問題もあり、そこまで行くことは簡単ではありません。NGOで国際協力の仕事をしていても、必ずしも現場が近いわけではないのですが、この職場では生徒が変わっていく姿を目にすることができます。この学校で駐在ができる限りは、ここで働きたいと思っています。

 

【インタビューを終えて】

先日、この学校の卒業生に取材をする機会があった。ポリオで足が不自由になった女性は、ここで勉強して自分の美容室を開業した。その女性は「子供のころは足が不自由なのは自分だけで、学校で友達がいなかった。でも、学校で技術を学んだら自身が持てるようになった」と話していた。本来障がい者支援ははミャンマー政府がやるべき仕事かもしれないが、現実として手が届いていないのも事実。社会から隔絶されてきたミャンマーの障がい者の中には、こうした学びの場など、少しのチャンスがあるだけでも人生が変わる人も多いのだろう。教育は地道で時間のかかる事業だが、今後も生徒の成長を見守ってほしい。(掲載日2018年8月31日)