日本の「キモノ」をミャンマーに 復員兵が繋いだ縁 ミャンマー人に人気のミハマクロス社長の浜口良行さん

 

 
ミャンマーのファッションが多様化している中で、日本のデザインが見直されている。ミャンマー語では「キモノ」と呼ばれ、日本の着物のみならず和風の柄の布全般を指し、盛んにロンジーなどに取り入れられている。その先駆けとなったのが、東京・日暮里に店を開く繊維問屋「ミハマクロス」だ。東京を訪れた多くのミャンマー人が、この店で親類らへの土産物として布地を購入する。どうしてミャンマー人に大きな人気を博しているのか、同社の社長の浜口良行さんにその秘密を聞いた。

 

――ミハマクロスはミャンマーでも名前が通っていますね。もともとは布団の布地などを卸す問屋だったと聞きます。どうして、ミャンマー向けにロンジーの布地を販売するようになったのですか。

 

はい。私は36年前に独立してこの店を立ち上げたのですが、お客さんの中に、ビルマ戦線に出征して復員した元兵隊さんがいました。その方はビルマに出征した縁で、戦後も現地をたびたび訪れていまして、その時にうちの布団の布の切れ端などを持ち込んだことがミャンマー人に和柄を知ってもらったきっかけです。


浜口良行(はまぐち・よしゆき)さん

 

繊維卸の「ミハマクロス」社長。1935年生まれ。繊維業界でキャリアを積み、84年に独立して同社を設立、日暮里の繊維街で店舗を営む。布団用の布地や洋服を扱っていたが、現在はミャンマーなど外国人向け布地に品揃えをシフトさせている。

当時は軍事政権であまり海外の商品がなかった時代で、「デザインもよく布の質もよい」ということで大変喜ばれたのです。その方はもうお亡くなりになりましたが、その縁で布地を気に入ってくれていたミャンマー人が、うちの店に来るようになったのです。

 

本格的にミャンマー人向けに力を入れたのは、2011年の東日本大震災が転機です。もともと私が布地やシャツなどを卸していた小売店が、震災で被災して相次いで廃業してしまったのです。石巻や仙台など東北地方は顧客が多かったのです。それに加え、日本のライフスタイルも変わり、ベッドや羽根布団が主流になり、昔のように和柄の布地を布団に使うことは少なくなりました。そもそも、和室で寝て毎日押し入れに布団をしまうような家庭はあまりないですよね。そこで、思い切ってミャンマー人向けをメインにすることにしました。今まで2号店がミャンマー人向けだったのですが、大通り沿いの1号店をロンジー用布地の店としました。今では、ミャンマー以外の外国人にも人気が出てきて、顧客の半数は外国人の方ですね。

 

――ミャンマーは気候も好みも違うと思いますが、どんな工夫をしているのですか?

 

そうですね。オリジナルのデザインの布地を次々と打ち出すようにしています。毎週のように新しいデザインが入るので、ひと月もすれば品ぞろえが一変します。常時500種類の布をそろえて、日本に来るたびに買ってくれるミャンマー人の客さんにも、新しい商品が提供できます。一方で、定番の人気デザインはいつでも買えるようにしています。

 

私がミャンマー人の好みを考えて、新しいデザインを発注しています。金色など艶やかな配色が好まれますね。鶴や扇子などのデザインが人気ですね。緑や青と言ったロンジーの定番の色のほか、白のように目立つ布地も売れています。ロンジーとして仕立てやすいように、特別に2メートルにカットしています。小分け包装で土産物としても買いやすいようにしていますね。暑いミャンマーで汗をかいても快適なように、つむぎという特別な織り方をしている布地も作っています。すべて日本国内の取引先の工場で製造していますよ。

 

――日本の柄がミャンマー人に受けているというのは不思議ですね。

 

縁ですね。私は83歳で繊維業界でずっと働いてきましたが、商売は今が一番調子がいいのです。ただ、これは誰もができるわけではないのです。売れ筋を見極める目や、売れ残りの内容に仕入れる方法などは経験がないとなかなかわかりません。今後もいい商品をミャンマーの人に提供できればと思っています。

 

【インタビューを終えて】

ミハマクロスを訪れると、昔の布団によくあった毬や松と言った定番の和柄の布地がたくさん置いてあった。確かにいつの間にかこうした和柄と出会うことは日本でも少なくなった。そうした日本人が忘れかけていたデザインを、ミャンマー人が気に入り評価してくれているのだ。日本で消えつつある価値を、違った形で受け継いでいるのがミハマクロスとその顧客ではないか。こうした縁を大切にしたいと感じさせる取材だった。

(掲載日2019年7月5日)