「ミャンマー人の心に火をつけたい」 ラウェイ日本大会を企画した格闘技プロモーターの中村祥之さん

ミャンマーの伝統格闘技ラウェイは、そのルールの過酷さから「世界で最も危険な格闘技」「素手のムエタイ」などと呼ばれる。グローブは着用せずバンテージだけの拳で殴り合い、頭突きもOK。ノックアウトでないと決着がつかず、ダウンしてもタイムが取れるなど世界に類を見ない格闘技だ。この格闘技に魅了され、興行として日本大会を開催したのが、格闘技プロモーターで、インターナショナル・ラウェイ・フェデレーション・ジャパン(ILFJ)の中村祥之さんだ。今年に入りヤンゴンに移住して活動している。その思いを聞いた。
――もともと中村さんは、プロレスリングZERO-ONEなどでプロレスの興行をしていたと思います。それがどうしてラウェイの大会を日本で開くことになったのですか。

 

はい。2015年にヤンゴンでプロレスの試合を開催したのです。プロレス企画を進めるなかで、会場が突如使えなくなるなどいろいろなトラブルがありました。そういう時に、助けてくれたのがラウェイの関係者だったのです。本来ラウェイでしか使わない国技館のようなテインピュースタジアムを使わせてもらったほか、私たちのリングが港で通関できずに困っていたところを、「ラウェイのリングでよいのなら使ってくれ」と貸していただいたのです。

 

プロレスの発表記者会見で、地元の記者にいじめられました。「プロレスはやらせではないか。お前はラウェイを知っているのか」という主張でした。私はそのとき、「そこまで言うのなら、自分の国だけで満足しているのではなく、ラウェイ選手は世界で戦ったらどうか」と言い返しました。それで、その記者は「それならあなたがその場を作れるのか」というので、最善を尽くすと約束したのです。


中村祥之(なかむら・よしゆき)さん 

1966年生まれ。大学卒業後に新日本プロレスなどで経験を積み、2001年橋本真也選手らとともにプロレスリングZERO-ONEを立ち上げた。ラウェイのプロモーターライセンスを取得、ILFJを立ち上げヤンゴンを拠点に活動する。

そこでまず、有名なチャンピオンのトゥントゥンミンを「巌流島」に呼んで戦わせたのです。しかし、コロッと負けました。それはそうです。ルールは違うのに、ろくに研究もせずに通用すると思うほうが間違っています。ラウェイ選手はラウェイで戦うのがよいと思い2016年の10月に日本でラウェイの大会を開きました。それまで、ミャンマーのラウェイの興行は、私にとっては粗雑な興業に見えました。イベントをコンテンツにするということが必要でした。客が飽きないように時間を短くして、引き分けにならないように工夫しました。ミャンマー側からは「日本でなどできるわけない」という反応でした。日本の関係者からはどんなものかわからないのに、客が入るわけないといわれていましたが、私はあらゆる手段を使って客を集め、結局後楽園ホールを超満員にしました。その後、ミャンマーのラウェイ関係者やマスコミにも日本での試合に来てもらいましたが、「ラウェイというのはしっかりやると、こんなに面白くできるのか」と驚いていました。

 

――初めてのことで、苦労も多かったのではないかと思います。

 

ミャンマー側との調整も大変でした。向こうは向こうでの強い思いがあるので、どんどん要求が厳しくなっていきました。例えば、ラウェイでは試合前に神にココナツのお供え物をするのですが、日本ではふつうそのような時間はとれません。しかし、ミャンマー側は「それがないとラウェイではない」というのです。また、お供え物のココナツも、「ツタがついていないものはだめだ」というのですが、日本にはそんなココナツは売っておらず、結局ミャンマーからココナツを運んでくることにしました。そうした要求に対して、日本側で相談して「もう、1回やりたいようにやらせてあげよう」ということになり、結局要求はすべて飲みました。レフェリーや、「ハヤー!」という掛け声をかける人もミャンマーから呼びました。高田馬場のミャンマー人コミュニティに頼んで、音楽も生演奏でやってもらいました。そのうち実績を積むと、さすがに敬意を払ってくれるようになり、要求というよりお願いしてくるようになってきましたね。

 

――6月29日で日本での大会が8回目になりますね。今後の展開はどう考えていますか。

 

はい、ミャンマーのメディアからも注目されるようになり、テレビ局のミャンマーナショナルテレビ(MNTV)と組んで、ミャンマー人向けのラウェイ紹介番組を制作しています。1000年の歴史があるとされるラウェイですので、その歴史や文化も掘り下げたいと思います。若手選手が育っていく構成も考えています。本気でやるのだけれどもバラエティ形式にして、ラウェイファンだけでなく、今あまりラウェイを見ない若者にも魅力を伝えたいと思います。日本の大会の放映も始まっています。番組が軌道に乗れば、ミャンマーで6回、日本など国外で6回の年12大会がやりたいと思っています。

 

私は、パトロール犬でいいと思っていて、猟師はミャンマー人です。日本大会のように、ミャンマー人が国外で活躍する映像をみせることで、ミャンマー人の心に火をつけたいと思うのです。ミャンマー人が本気にならないと、選手が育ちません。夢がないと、若い選手がやる意味がないと思います。「国際的に有名な選手はミャンマーにはいない。世界に通用する格闘家を育てたくはないのか」と常々ミャンマーの関係者に話しています。タイのブアカーオ、フィリピンのパッキャオのように、世界に通用するミャンマーの格闘家が生まれる日を楽しみにしています。

 

【インタビューを終えて】

日本のプロレスで興業の裏も表を知り尽くした中村さんが、ヤンゴンに移住したと聞いて、ぜひ話を聞きたいと思った。日本では業界のしがらみなどで、できないこともあったのだろう。ラストフロンティアとしてのミャンマーの魅力は、大企業のビジネスマン以外にも、多様な人を引き寄せている。ヤンゴンを拠点に、日本のプロがミャンマー人の心に火をつけることができるのか、期待したい。(掲載日2018年6月1日)