「八角で平和を!」医師の林健太郎さん②

(7月15日発行第500号より続く)

ミャンマーでタミフル治療薬の原料の八角を栽培する「八角平和計画」を進める医師の林健太郎さん。インタビューの第2回は、なぜミャンマーでこのプロジェクトを進めることになったのか、その経緯を聞いた。

――ミャンマーとの縁は何だったのですか。

 

「最初は、医療NGO『国境なき医師団』のメンバーとして、カレン州やモン州に派遣されたのがきっかけです。2004年ごろですが、その時もキンニュン首相のもとで和平の機運があり、難民の帰還が始まるというので、その支援のための医療プロジェクトに参加しました。

 

そして、私が活動に従事していたその年の10月に、キンニュン首相が更迭される政変が起こるのです。私はカレン州コーカレーで巡回診療をしていて事情がわからなかったのですが、ジャングルの川に死体が流れてきたり、人が連行されていったりしているのを見て、『何かが起こっている』と思ったことを覚えています。

そして、いかだで町にもどると、メンバーから『よく帰ってきた。無事だったか』と大歓迎を受けたのです。それで、キンニュン首相が失脚して内戦が再開したのだと理解しました。少数民族勢力と和平合意が結ばれる直前の出来事で、今思えば歴史的瞬間でした。その後、国境なき医師団は活動を続けられなくなってしまうのですが、今も一緒に活動をしているのは、その時の仲間が多いのです」

 


林健太郎(はやしけんたろう)さん 

国際NGO「ベアフット・ドクターズグループ」代表。医師としてカレン州などの活動が豊富で、少数民族問題にも詳しい。(写真左。右はスタッフの中原一就さん)

――すさまじい体験ですね。その後も世界各地で支援活動に参加されていますね。

 

「ミャンマーに戻って来るのは、2008年のハリケーン・ナルギスの被害支援です。その時は、パンライン病院のアドバイザーとして、外国人としては運よくビザが取得できたため、活動ができました。

しかし、子供たちは着の身着のまま。それこそロンジー一丁、Tシャツ一丁で被災地からやって来たのです。その彼らが働く農園では、悪性のマラリアが蔓延していました。この地のマラリア蚊は夜行性で、そのうえ低空飛行をします。国際機関は『蚊帳で防げる』と言うのですが、子供たちが行うゴムの樹液の採取は、夜に樹液を受けるカップを設置し、朝に回収する仕事ですから、まさに夜行性のマラリア蚊の餌食になってしまいます。また、地上すれすれを飛ぶため、裸足の足が刺されてしまいます。

 

そこで、我々は虫除けクリームを塗る活動を展開しました。子どもたちが、夜と朝の仕事に行く前に、ひたすらクリームを塗るように指導したのです。しばらくすると、農場主が異変に気づきました。マラリアにかかる労働者が減ったというのです。農場主は、労働者が病気にかかると治療費もかかりますし、人手もなくなるということで、1日あたり2,000~3,000円の損失が出るそうです。農場主が効果を認めてくれたため、活動は広がっていきました。

 

そうこうするうちに、タイに出稼ぎに出た労働者などに、HIVや麻薬の問題があることがわかりました。そこで、虫除けクリームの原料になるレモングラスを栽培することで、HIV感染者らの雇用の受け皿にするという一石二鳥のプロジェクトを始めようとしました。そのための調査を進めていたのですが、そこで私はチフスにかかり、日本に帰国することになってしまいました」

 

――過酷な現場で活動されていたのですね。その後はどうされたのですか。

 

「チフスで帰国したのが2011年なのですが、2月にやっと退院したと思ったら、東日本大震災が起こるのです。さあ、『ミャンマーでレモングラスだ』と思っていたのですが、震災支援を優先せざるを得ませんでした。

 

岩手県の陸前高田市などで活動をしていたのですが、その資金として日本財団からの支援を受けたことが、再度ミャンマーへ赴く縁となりました。日本財団は2012年ごろから、ミャンマーでの少数民族地域の支援に乗り出します。はじめはヤンゴン郊外などで活動をするということだったようですが、少数民族問題ならば私がかつて活動していたカレン州やモン州ではどうかと提案しました。ミャンマーの医師会と連携して、活動を始めました。

 

ただ、こうした現場の医療活動を続けるうちに、次第に医療だけでは根本解決にならないという思いが次第に強くなっていきました。医療活動も大事ですが、例えば辺境の地に道路ができれば、病院があるところまで患者を運ぶこともできます。こうした思いから、インフルエンザ治療薬『タミフル』の原料となる八角を栽培して雇用につなげる『八角平和計画』を始めたのです。ミャンマーには照りつける太陽と、降りしきる雨があり、農業には最適な土地ですから」

 

――なるほど、いろんな縁があって現在につながるのですね。ところで、いま日本の人たちに対して訴えたいことはありますか。

 

「八角平和計画のスタディーツアーに参加してほしいと思います。いま、世界的に『自分のアイデンティティを守るためには、武力が必要だ』という方向に向かっています。日本でもそういう意見の人が増えているのか、もしくは何も考えていないのか、どちらかの状況だと思います。カレンの人々は昔こそ、そういう考えで内戦を戦ってきたのですが、いま武器を捨てて産業を興そうと頑張っています。そのような現場をぜひ、自分の目で見てもらって、平和についてよく考えて欲しいと思います」(掲載日 2016年7月29日)