コスプレ好き講じてカリスマ仕立て屋に 世界コスプレサミット・ミャンマーのオーガナイザー、エレン・キムさん

 

2011年の民政移管を機に、海外の情報が一気に流入したミャンマー。それとともに、日本のアニメや漫画の熱烈なファンが登場し、コスプレイベントなどを開催して楽しんでいる。流行や新しいものに敏感なアーリーアダプターの若い世代が中心だ。その中でも、コスプレ専門の仕立て屋として知られるのが、エレン・キムさんだ。エレンさんに、ミャンマーのコスプレ事情を聞いた。

 

――世界コスプレサミット・ミャンマーではオーガナイザーとしてイベントを仕切りました。その後の世界大会でも、審査員を務めていますね。しかしそもそも、どうしてこの世界に飛び込んだのですか。

そうですね。一番幼いころの日本のアニメの記憶はおそらく7歳くらいのころで、両親がVCDで買ってくれた「デジモン」のアニメシリーズでした。その頃は幼くて日本のアニメとは知らなかったのですが、とてもわくわくしました。今でも、オープニングテーマの「バタフライ」を聴くと泣きそうになります。

 

学校で写真の勉強をしていたのですが、2011年か2012年ごろ、ミャンマーで初めてのコスプレイベントが、ストランドホテルで開かれたのです。その時は、まだ人数も少なく小さなイベントでしたが、フォトグラファーとして手伝いました。そうしてコスプレイベントに関わり、2014年くらいからは自分でもやるようになったのです。私はもともと内気なオタクだったのですが、コスプレをすることで、いろんな人と友達になれることが好きなのです。

 

私はコスプレは自分の手で作りたいという主義です。いろいろな材料から工夫して作るのは楽しいですし、自分でやることに充実感を感じます。そこで、もっとレベルの高い衣装を作るため、日本の文化服装学園のバンコク分校に通い、デザインを勉強しました。世界コスプレサミットとは、2017年にミャンマーで開催された時からの縁ですね。


エレン・キム(チューエインドラウー)さん世界コスプレサミット・ミャンマーのオーガナイザー。コスプレ専門仕立て屋として知られる。1993年モーラミャイン生まれ。中国系の家庭に育ち、緬中英日韓など6か国語を操る。タイ・バンコクの文化服装学院分校などでデザインを学ぶ。
――ミャンマーで最も有名なコスプレ衣装デザイナーと聞いています。

 

自分ではコスチュームメーカーと名乗っています。昼間は別の仕事をしていて、パートタイムの仕事ですね。年間100~200のコスプレ衣装を仕立てています。私は仕事が早いので、一日2~3着の衣装を作ることもあります。海外からの注文が多く、フェイスブックなどでオーダーが来て、仕立てて国際スピード郵便(EMS)などで送るのです。最近は月10着などというように、仕事の量を制限しています。

 

これをメインの仕事にすればいいじゃないかと言われますが、コスプレはあくまで趣味でして、そうでないと楽しめなくなります。今は注文を断ることもできますが、本当の仕事としてやるなら断れなくなります。その一方でコスプレは大変お金のかかる趣味なのです。頑張ってお金を稼がないといけません。この間私が着たゲーム「陰陽師」の紅葉の衣装は、300ドルくらいかかっています。私が作って販売するなら、500~600ドル程度になりますね。

 

――ミャンマーでは、インターネット環境が整っていなかったこともあり、海外のアニメを楽しむのが大変な時代もありましたね。ミャンマーの最近のオタク事情を教えてください。

 

私が子供のころは、DVDなどで観ていましたね。日本語の音声で英語字幕で観るのです。アニメから日本語を学び、Kポップからは韓国語を学びました。3~4年くらい前には、アニメのデータのやり取りするための大規模な交換会が開かれていたものですが、最近はあまり聞かないですね。新しい世代の人たちがどんどんコスプレに参加してきて、クオリティも上がっているので、いいことと思います。その一方で、有名になりたいだけで、アニメのこともよく知りもせずにコスプレイベントに出場する若者もいて、そういうのはあまり好きではないですね。

 

世界を旅をして、世界中のコスプレイヤーと友達になりたいと思います。これからも世界コスプレサミットを盛り上げていきたいと思います。

 

【インタビューを終えて】

好きこそものの上手なれとは言うものの、アニメが好きで日本語を覚え、コスプレが好きで仕立て屋になり、世界的なコスプレイベントまで切り盛りしてしまう。そのエネルギーには圧倒されるばかりだ。こうした熱烈なファンを、日本人は大切にするべきだろう。(掲載日2019年8月16日)