デフサッカーのミャンマー代表率いる アルビレックスサッカースクールの村中さん

ミャンマーでも一番愛されているスポーツは、やはりサッカーだ。その一方でミャンマーは、サッカー少年にとって必ずしも恵まれた環境ではない。特に、ハンディキャップを負った子供たちにとっては一層厳しいものがある。そんなミャンマーで、耳の不自由な子どもが通う聾学校「マリーチャップマン」でサッカーの指導を始めたことから、デフサッカーのミャンマー代表を率いることになったのが、アルビレックス新潟ミャンマーサッカースクールの村中翔一さんだ。村中さんに、ミャンマーサッカーにかける思いを聞いた。

 

――そもそも、アルビレックスグループはどうしてミャンマーでサッカースクールを運営しているのですか。村中さんが立ち上げたと聞いています。

はい。アルビレックス新潟は海外でも事業を行っていて、シンガポールではプロサッカーチームも運営しています。私もそのシンガポールのアルビレックスで仕事をしており、その後カンボジアに駐在しました。そしてサッカースクールの次の進出先としてミャンマーに目をつけたのです。タイなどの周辺国にはすでに多くのスクールがありましたが、ミャンマーにはまだなく、チャンスだと思ったのです。

 

2014年9月の開始当初は、今のように日本人学校の校庭を借りることもできなかったので、練習する場所を探すのも一苦労でした。チャイカッサンの運動場に頼み込んで何とか場所を確保したのです。

 

その後、生徒が増えるにしたがって、日本人学校の関係者の理解も得られ、校庭を借りることができました。いまでは日本人学校のサッカースクールで約40人の生徒に教えているほか、インターナショナルスクールの生徒などで計約110人に有料で指導しています。

 

――それがどうして耳の不自由な子どもたちにサッカーを教えることになったのですか。

 

はい、私が指導しているマリーチャップマン聾学校は、日本人学校の真向かいにあります。来緬してすぐ、日本人学校に寄ったついでにマリーチャップマンを覗くと、子どもたちがサッカーをしています。そこで、校長先生に会いに行き、「何か力になれないか」と相談したことがきっかけです。


村中翔一(むらなか・しょういち)さん 

愛知県出身。小学校3年でサッカーを始めて以来のサッカー好き。大学卒業後に一般企業に勤めるも、数か月で退社して放浪に出る。旅行中に出会った人に影響され、「楽しいことを突き突き詰めれば仕事になるのでは」と思い立ちサッカーの道に。アルビレックスのスタッフとして、シンガポールやカンボジアで働く。2014年にアルビレックス新潟ミャンマーサッカースクールを立ち上げた。

教えていくうちに、どんどん子どもたちが増えてきました。今では、週3回、74人の子どもに教えています。これはスクールと違って営利事業ではないので、無料でサッカーを教える代わりにスポンサーを募るという形をとっています。そのスポンサーの方々の力を借りて、手作りでゴールを作り、ユニフォームを贈呈し、中古のシューズを寄付してもらうなどして、徐々にサッカーを練習する環境を整えていきました。

 

そのうち、マリーチャップマンの校内の寄宿舎に住んでいる耳の不自由な子どもは、行動範囲がとても狭いことに気づきました。校外にあまり出ることもありません。もっと広い世界を見せてあげようと、対外試合を組みました。はじめの対戦相手は、チャイカッサンの大学生で、当然ぼろ負けしました。また、日本のNPO「地球市民の会」の協力で、シャン州の学校で試合をすることもできました。

 

――その教え子たちが、12月のミャンマー初のデフサッカー代表として国際大会に出場したのですね。

 

はい。今年9月にASEANデフサッカー大会への招待をいただきました。この話を校長から聞いて「出場しましょう」と即答しました。しかし学校にはお金がなく、アルビレックスからも「費用はどうするんだ」などと心配の声も上がりましたが、「大丈夫です。当てはあります」と押し切りました。そして、スポンサー企業や、サッカースクールの保護者らに必死で募金をお願いして回りました。

 

会場のマレーシアへ行くためにはほかにも課題がありました。まず、パスポートはおろか、住民登録カードすら持っていない子供もいて、この取得も大きな壁でした。学校側はなかなか動いてくれなかったので、校長と一緒に航空会社を訪れ、人数分の航空券を購入し、校長の目の前で約5,000ドルを現金で支払いました。手持ち資金をほぼすべて使い果たした形です。しかし、これで私の本気さが伝わったのでしょう、それからすぐに校長はパスポートなどの手続きを進めてくれるようになったのです。

 

12月4日のマレーシアの大会では、ベトナム代表、マレーシア代表と対戦し大差で敗れましたが、彼らはミャンマー代表として戦い、経験を積みました。2018年にはタイで大会がありますので、次はそこで優勝することを目指します。

 

――これから、ミャンマーでの目標は何ですか。

 

そうですね。最終的には、プロのサッカーチームを作れればいいと思います。そこでプレーしたミャンマー人選手が、日本のJリーグのアルビレックス新潟でプレーするくらいになるとうれしいですね。

 

【インタビューを終えて】

村中さんのミャンマーでの軌跡を見ていると「頑張っている人には応援する人が現れる」ということを実感する。たった1人で始めたサッカースクールが、多くの人との出会いで開花していったと言える。デフサッカーの取り組みも、マリーチャップマンの校長との出会いが生んだ偶然から始まったが、それが代表を率いて遠征するまでに成長した。こうしたミャンマーでの人の縁を大切に、大好きなサッカーでミャンマーの子どもの可能性を広げて欲しい。(掲載日2017年1月6日)