「ヤンゴンを世界一の都市に」 ミャンマー企業で働く決意 ヨマ・ストラテジックの不動産開発プランナー、大澤四季さん

ヤンゴンで急増する日本人ビジネスマンの多くは、日本企業の駐在員という形で駐在している。しかし、そんな中でも自分の目標を実現するためにミャンマー企業で働くことを自ら選んだ女性がいる。地元財閥系企業ヨマ・ストラテジック・ホールディングスで不動産開発プランナーとして働く大澤四季さんだ。大型開発が進むヤンゴンで、新規案件の開発を手掛ける。どうして日本の大企業を離れ、ミャンマーで働くという選択をしたのか、そしてこの地で何を実現したいのかを尋ねた。
――大澤さんは日本の森ビルを辞めてミャンマー

企業で働くというユニークなキャリアを持ってい

ますね。そもそも、どうしてそんな選択をしたの

ですか。

 

私とミャンマーとの関わりは、学生時代のアルバ

イト先の回転寿司店で、不法就労のミャンマ

ー人たちと友人になったことに始まります。昼休みも勉強する真面目なミャンマー人でした。その後彼らは強制送還されてしまうのですが、いつか行きたいと思っていたミャンマーをバックパッカーとして訪れたのが大学4年の2007年でした。

 

人が優しいいい国だな、という印象だったのですが、帰国直後に反政府デモでジャーナリストの長井健司さんが射殺される事件が起こったのです。強い憤りを感じました。そのころから、いつかこの国で働こうと思い、毎年1回はミャンマーに旅行するようにしていました。


大澤四季(おおさわ・しき)さん

2008年一橋大学卒業後、森ビルに入社。虎ノ門ヒルズの開発などに携わる。2015年に来緬し、現在サージ・パン&アソシエイツ(SPA)グループのヨマ・ストラテジック・ホールディングスの不動産計画開発部の不動産開発プランナーを勤める。

森ビルに就職して8年目の2015年、ミャンマーで働こうとゴールデンウィークに就職活動のためヤンゴンを訪問したのです。実は、訪問前からヨマに「決め打ち」していました。何度もヤンゴンを訪れて、多くの不動産会社について調べました。しかし、ヨマ以外にはきちんとしたビジョンを持って都市開発を行っている会社はありませんでした。そこで日本から、同社に面接してもらえるようなつてを辿っていったのです。しかし、ヤンゴンを訪れた時にはまだアポが入っておらず、帰国直前になって、現在の上司で不動産部門トップのサイラス・パン氏に会うことができました。面接で私は、「ヤンゴンを世界一の都市にしたい」と訴えました。すると、サイラス氏が「ミャンマーのライフスタイルを変えていきたい」と真剣な答えをしてくれたのを覚えています。

 

――実際にミャンマー企業で働いてみると、苦労は多かったのではないかと思います。

 

そうでもないのですよね。よく「ミャンマー人は応用力がない」などという話を聞きますが、うちの会社に関していうと、上に立ってるミャンマー人はとても優秀です。また、同僚には外国人が多く、公用語も英語になっています。リパットと呼ばれる海外帰国組のミャンマー人も多くいます。例えば、私の今の直属の上司は米国市民権を取ったミャンマー人で、ビジネスの考え方はアメリカ人そのものです。ただ、会社としてはミャンマー的な部分もありますね。それは、サージ・パン会長の考え方によるものが大きいと思います。例えば、飲食チェーンのKFCの事業でも、ただ店を出すのではなく、冷凍物流網を構築するなどしてミャンマーの発展を意識しています。また、最近発表した農村部での発電事業など、お金のためだけではない事業を積極的に行うことが特徴です。

 

苦労したことといえば、そうですね。日本の会社では、仕事は降ってくるものですよね。ヨマに来てすぐのころは「私は何でもやりますから、声をかけてください」と言っていました。しかし私の仕事はありませんでした。しばらくして、ここでは仕事は取ってこないといけないのだと気づきました。それから、大きなプロジェクトが動きそうなときには、先回りすることにしています。現地を訪れて写真を撮るなど他の人が持っていない情報を集め、その話になった時に「私資料ありますよ」などと声をかけます。そうすると「ちょっと一緒にミーティングに出てもらってもいいか」などと声がかかるのです。

 

――街づくりが専門ということですが、ヤンゴンをどのような街にしたいと考えているのですか。

 

そうですね。アイデンティティのある街になってほしいと思っています。いま世界中のグローバル都市は、みな同じような街になってきています。それだけでなく、歴史や文化といった色がある街を作りたいと思っています。

 

しかし、街づくりの半分以上は行政の政策によるものです。その点で、個人的に思うことが2つあります。1つは、シュエダゴン・パゴダの位置づけを明確にすることが必要だと思います。現在は高さ制限だけが実施されていますが、それでは例えば日本のパチンコ屋のような建物が周囲に建つ可能性もあります。シュエダゴンを観光や文化の中心と考えるなら、用途制限についても検討する必要があります。もう1つは、民間企業の力を引き出すインセンティブを導入することです。例えば日本では、敷地に緑地空間を作ったり、公民館を設置したりすると、容積率が緩和されるなどの優遇措置があります。このことにより、政府が予算の関係で手が回らない部分を、民間企業が行うことになるのです。こうした手法は、財政状況が厳しいミャンマーには向いていると思います。

 

こうしたことを色々と考えているのですが、今後はミャンマーの若手の建築家や都市計画の専門家と一緒に勉強会を開くなどの活動をしていきたいと思っています。ヤンゴンの街づくりに興味のある人がつながっていけたらと考えています。

 

【インタビューを終えて】

 学生時代のミャンマーへの強い思いを持ち続け、夢を一歩ずつ実現してきた大澤さん。自分の専門性を武器にミャンマー企業に飛び込み、文字通り大きな仕事を勝ち取った。都市開発は長い月日のかかる仕事だ。現在彼女が仕込んでいる新規案件が形になるのは数年後、大きなものでは数十年かかるものもあるだろう。今後もミャンマーにかかわり続ける思いを持つ大澤さんの仕事が、大きく花開く日を楽しみにしたい。(掲載日2017年5月12日)