機器の支援が、ヤンゴンでの医療活動に発展 外国人向けクリニックで働く大雄会医師の伊藤哲さん
長らく国を閉ざしてきたことから、世界の医療水準と 差が大きいミャンマー。そんな中でも、ミャンマーで働 くビジネスマンや旅行者らの万一の時に助けになるの が、外国人向けに診療を行っている医師らだ。日本の 社会医療法人「大雄会」の医師の伊藤哲さんは、ミャ ンマー進出ブームのさなかの 2015 年にヤンゴンでの 活動を開始した。ミャンマーで医療活動をする意味に ついて聞いた。 | |
――大雄会は 2015 年に「レオ・メディケア」と提携し て、ヤンゴンで医療活動を始めました。今では、日本 人医師は何人かいますが、その走りのような存在です ね。どうしていち早くミャンマーに進出したのか、その 理由を教えてください。
はい、大雄会とミャンマーとのかかわりは深く、1998 年からミャンマーに放射線関連の機器などをドネーシ ョンしていました。コンピューター断層撮影(CT)や磁 気共鳴画像装置(MRI)などですね。放射線科が専門 だった私たちが、ミャンマーの医師らを指導もしていた のです。ミャンマーを初めて訪れたのは 2003 年ですね。学会で講演したほか、若手の医師を教えました。
その時、新ヤンゴン総合病院で、ジャパンと大きくかかれたシールが貼ってある CT が故障しているのを 目にしました。国際協力機構(JICA)が寄贈したものだそうですが、一か月後に壊れたといい、その後ミャ ンマーでは修理することができなかったのですね。 |
![]() 伊藤哲(いとう・さとし)さん
1962 年、長野県生まれ。福井医科大学(現福井 大学医学部)卒業。大雄会の医師として、ミャン マー支援に携わったのち、2015 年からヤンゴン駐 在して現地での医療に従事。現在レオ・メディケ ア日本人診療院長。 |
それを目にして、「ただものをあげるだけではだめで、 現地の人がしっかり使えるようにならなければ意味がない」ということを再確認しました。その後も年に2回 程度来緬して指導を行っていました。この活動がミャンマーの医療の発展に貢献したとされ、2006 年にヤ ンゴン第一医科大学から名誉教授に任命されたのです。
こうした活動を続ける中で、大雄会も支援だけでなく、自分たちでも医療活動をしようということになった のです。現地のためということに加え、こうした海外でをすることで、大雄会の知名度を上げる目的もありま した。自分たちだけでやるのは無理がありますし、ヤンゴンにある薬や機器でやらないといけないことを考 えると、現地のパートナーが必要でした。また、CT や MRI など充実した設備があることも必要でした。そこ で、すでにビクトリア病院を拠点にすでに外国人向けクリニックを開いていた実績もある地元医療機関の レオ・メディケアと提携したのです。ここでは高度な検査に加え、もし手術や入院などの必要があれば、ビ クトリア病院に引継ぎ、必要な治療を受けてもらうことができます。
――実際の医療活動では、苦労や多かったと思います。
そうですね。まず、日本の医師免許が通用するわけではありませんので、ミャンマーで医療活動ができるライセンスを取得するのに時 間がかかりました。2015 年8月に赴任したの ですがその時はまだライセンスが下りておら ず、現地の医師が診療するのをわきでサポ ートするという形で働いていました。やっとラ イセンスが下りたのは 2016 年 1 月で、そこか ら本格的に医療活動を始めたのです。ライセンス取得の過程では、私が今まで教えた人たちがとても助けてくれました。
――ミャンマーの医療の問題点は何でしょうか。
やはり人材でしょうね。教科書の知識だけでなく、自分で問題を解決していく力が必要です。医療の現場では、教科書通りに処置をしたとしても、必ず良くなるとは限らないのです。そうした場合場合によって、柔軟に判断して、解決していくことができる人がもっと必要ですね。患者の状況が完璧にわかる状況で仕 事ができることなどほとんどなく、走りながら方向修正するようなことのほうが多いのですから。
教育の底上げが必要だと思います。医師だけでなく、基礎教育から変えることが必要かと思います。今 までの教えられたことをノートにとって記憶していく写経のような教育から、自分で考える教育に変えていく ことが必要です。ただ、ミャンマーの医療の課題は、ひとつを解決すればうまくいく、というようなものでは なく、人材不足、教育の問題や経済発展、インフラなどが複合的に合わさっていて、解決には時間がかか ると思います。例えば、せっかく受験で高得点を取って医科大学に入った学生が、医師になりたがらない 実態がありますが、これも医師全体の待遇の低さや、健康保険制度、国全体の人材難など多くの理由が 絡み合っています。一朝一夕には解決できません。私はそんな中でも、目の前の仕事を着実にこなそうと 思います。ヤンゴンでは、できるだけ患者と話をしようと心がけています。
【インタビューを終えて】 実は伊藤先生には、筆者がデング熱にかかった時にお世話になった経験がある。高熱で入院する際の手続きが進まなかった時に「患者が苦しんでいるのにそんなのおかしいだろう」と病院に抗議してくれた熱 血先生だという記憶だった。毎日患者にできることをするという伊藤さんは、今後の計画や夢などを口にし ない。目の前の患者を救うことが第一だと考えているからだろう。(掲載日2018年9月14日) |