かつてヤンゴンが東洋のハリウッドとまで呼ばれたというミャンマー。この国を舞台に映画を撮り、各所で脚光を浴びた二人の日本人監督がいる。『僕の帰る場所』の藤元明緒監督と、『一杯のモヒンガー』の北角裕樹監督だ。近年、『マイカントリー・マイホーム』など日緬共同制作映画が相次ぎ、日本の映画人から注目を集めるこの国の映画業界。その実情をよく知る2人が対談した。
北角監督(左)と藤元監督(右)
藤元 どうもありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
北角 よろしくお願いします。
――まずは、お二人がミャンマーで撮られた映画についてお聞きします。藤元さんは、「僕の帰る場所」に人生を賭けていたように思います。非常に長い時間取り組んでいたようですね。
藤元 全部入れると5年ぐらいですね。資金がないので、みんな、働いてる裏で作業しないといけなかったんですよ。
北角 そもそもこの企画はどのようなきっかけで始まったのですか?
藤元 2013年5月にある会社が、盛り上がっているミャンマーで映画を撮ろうとしていたんです。そこで監督を募集していて、応募したのがきっかけです。
僕の帰る場所は、日本に住むミャンマー人の家族の話なんですが、ある日、入管のボランティアに行ったら、この映画のモデルになる家族と出会ったんです。子どもが、生まれはミャンマーだけど日本で育っていたんですね。ミャンマーに帰ったものの、全然ミャンマーに馴染めないから両親は衝突するし、親子関係も大変だったそうです。でも実際に会ったら、聞いていた以上にミャンマーに馴染んでいました。それを聞いたときに、お母さんはどうやってこの状況を乗り越えたのかが気になって、そのプロセスを完全に再現しようと思ったんです。
――東京国際映画祭やオランダの「シネマジア映画祭」では役者の演技も高い評価を受けていました。
藤元 子役のカウンミャットゥ君が非常に良かったですね。普通、子役の演技は嘘くさくなってしまいますけど、この子は言ったとおりに表情を作れるんです。一番すごかったのは、お母さんとけんかするシーン。実際に母役で出演している実のお母さんを前にしてそれができるんですよ。脚本を超えてきましたね。
――北角さんの一杯のモヒンガーはどのような流れで?
北角 私は、ミャンマーで修行してる平田裕子さんという脚本家と知り合って、せっかくならミャンマーで一本撮ろうっていう話になったんですね。チームの中で日本人は僕、平田さん、プロデューサーの新町智哉さんの3人だけで、あとはみんな、キャストもスタッフもミャンマー人なんです。一杯のモヒンガーは料理コメディなんですが、こんなジャンルの映画はミャンマーで初めてで「どうしてモヒンガーを題材に?」とミャンマー人にとても驚かれました。ワッタン映画祭でも歓迎されましたし、縁あってゆうばり国際ファンタスティック映画祭にも呼んでいただきました。
――撮影で大変だったことはありますか?
北角 主演のネイウーライン君っていう子は、これがデビュー作なんです。面接でアクターって自己紹介してくれたんですけど、演技経験はありませんって言われて(笑)。そんな彼を平田さんと一緒に柔らかくしていったら、いい表情が出てきたんですね。でもやっぱり、撮ってる間はいろいろとトラブル続きでした。ほかのミャンマー人の役者が、まだ撮影残ってるのに髪の毛を染めてきたり、小道具に落書きされたり、画面に映る食材をつまみ食いされたり。
――ミャンマー映画といえば、軍事政権時代のプロパガンダ的な映画が思いつきますが、全体的にみるとどのような流れなのでしょうか。
北角 イギリス植民地時代からミャンマーは非常に文化が高かったんですね。その後も映画産業は結構盛んでした。それが軍事政権の厳しい検閲でどんどん衰退してしまったのです。ただ、2011年にテインセイン政権になって、表現の自由が緩和されてきました。その中で映画館が増え始めたんですよ。例えば、ジャンクションシティのシネマコンプレックスとかですね。
ミャンマー映画には昔から奇想天外な展開のものが多いのです。例えば、アクション映画で最後ダムが決壊して村が全部潰れちゃう、みたいな。でも最近では、脚本がしっかりしてるのが増えている感じですね。海外から帰ってきたミャンマー人監督たちが結構いい映画を撮っています。ヤンゴンで話題になった『デセプション』はミステリーだけど、詐欺師が悪の道に入る背景がしっかり描写されていて、ヒューマンドラマの要素も入っています。
藤元 ここ2~3年の特徴として、インディペンデントが多いですね。低予算で有名俳優が出てない映画が増えています。そんな映画が最近有名になって、シネコンにも登場し始めているんですね。収益も厳しいから、日本だと絶対無理じゃないですか。そんな中、それこそデセプションみたいな映画も、低予算でメインストリームに乗ってきています。
――ミャンマーの映画産業は盛んなのでしょうか。
藤元 まだ産業として成り立っていないですよね。映画の面白さとか多様性が足りないです。今までもコメディ映画とか、突拍子もない展開の映画はあったけど、それしかないんですよね。
北角 それでも、スターが生まれやすい時代なんだろうな、って感じています。これだけコンテンツが不足している時代なので、いい映画を、特にビルマ語で出せば、きちんと評価はしてくれますね。
――若くて才能がある人はどのように活動しているんでしょうか。
北角 若い人も情熱で動いていますよね。お金を儲けたい、という動機ではないんでしょう。
藤元 ミャンマーだけじゃなくて日本もそうですけど、どう計算しても採算合わせるのは無理ですからね。
北角 でも、ミャンマー人の中には、誰にも教わっていないし、学校にも行ってないのに、インターネットでカメラの使い方、編集の仕方をマスターしてる人もいるんですよ。一杯のモヒンガーの映像監督も、誰にも教わっていないんですよ。たまにパナソニックなどが開く、カメラの使い方教室とかに行って、知識を吸収して細々とやるんですよね。
藤元 俳優も、これから始める人を含めて、すごいポテンシャルは高いですね。今まで俳優と台本が合致する瞬間ってミャンマーではあんまりなかったんですが、いい台本があれば、一躍有名になれます。デセプションに出ていた俳優も、昔はあんまり有名じゃなかったんですが、久々にヤンゴンに来たら、大きな広告に出ていましたね。
北角 森崎ウィンさんも、半年ぐらい前に日緬共同制作の「マイカントリー・マイホーム」の制作発表記者会見で文字通り一夜で有名になって、もうトップスターの1人ですよね。日本でそういう若い才能が出る機会ってなかなかないじゃないですか。
藤元 日本では、出たとしてもどこかの段階で1回止まっちゃいますけど、ミャンマーだとどこまでも行ける夢がありますよね。
――ミャンマー映画界に期待することはありますか?
藤元 ドラマ作品はもっと増えるでしょうね。今は映画だけが盛り上がっているんですが、テレビドラマのほうも盛り上がってくれば、俳優にとっても収入源になりますし。テレビ局のMRTV-4は、有名じゃない俳優を初めて使ったんですが、それがすごい人気になり始めてるんです。映像も海外クオリティで、今までのミャンマーとは全く違う傾向です。こういうものが増えてくれば、映画も一緒に成長すると思います。あとは、日本でミャンマー映画をもっと観たいですね。
北角 そうですね。日本の国際映画祭でも、「国際」になりきれてないとか、アジアと繋がれていないとかいう問題意識があるようです。僕もゆうばり国際ファンタスティック映画祭に一杯のモヒンガーを持って行って、「ミャンマーの映画人は頑張っている」っていう話をすると、みんな盛り上がってくれるんですよ。「ミャンマーの人たちと一緒に何かできたら」という話も動き出しています。
藤元 日本が、ビジネスとしてミャンマー映画の売り先になるかもしれないですね。日本側からの支援も、もっと出てくるかもしれません。今DVCで取り組んでいるラウェイの番組が終わったら、ワッタン映画祭の人たちと組んでドラマ制作とかを提案しようと思ってるんですよ。
――お2人の今後の活動の展望は?
藤元 とりあえずミャンマーの番組制作に関わりたいですね。あと、今年の12月以降は地方に行って、第二次大戦の戦争体験者のリサーチをしようかなと。小規模にみっちりミャンマーを見てみようと思ってます。もうちょっと深くミャンマーに関わってみたいですね。
北角 僕はもともと記者なんですが、ミャンマーのメディアの人材育成みたいなものに力を入れていきたいですね。去年、ミャンマーと日本の記者の卵が一緒にヤンゴンで取材するっていう企画をやったんですが、それを、もう少し大掛かりに、映像も混ぜてやりたいと思っています。やっぱりミャンマーの表現者が盛り上がってきているので、そういう動きを後押ししたいですね。
【対談を終えて】
長らく渇望していた表現の自由を手にし、盛り上がりを見せているミャンマー映画界。2人の監督を先駆けとして、日本側からのアプローチも増えているようだ。日本の映画館でミャンマー映画が見られる日もそう遠くはないかもしれない。(ミャンマーエクスプレス編集部)
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![]() 北角裕樹監督:ヤンゴン編集プロダクション代表。記者業のかたわら、2017年、ミャンマーで現地のキャスト・スタッフを率い、同国初となる料理コメディの短編映画『一杯のモヒンガー』を監督。同作はヤンゴンの「ワッタン映画祭」にノミネートされ、夕張市の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で招待作品となった。 |